大腿骨骨頭壊死の実体験:30歳で訪れた突然の発症と診断までの道のり

闘病記録

30歳というまだ若い年齢で訪れた異変。

それは、左足に襲いかかる激しい痛みでした。

スポーツで少し無理をしただけだと自分に言い聞かせ、痛みを我慢して日常を過ごしていましたが、痛みは日に日に悪化し、日常生活に支障をきたすようになりました。

それで、診断を受けたところ、告げられたのは「大腿骨骨頭壊死」という思いもよらない病名でした。

その時、壊死というワードを聞いて「とんでもない病気にかかってしまった」という不安が胸をよぎりました。

医師からは手術が必要だし、手術後も復帰には、最低1年はかかると言われました。

子供が生まれたばかりだったこともあり、家を引き払って、私と妻の実家のある四国の病院への転院を決意しました。

この体験記では、私がどのように病気を受け入れ、治療への第一歩を踏み出したのか、その経緯を振り返ります。

皆様には、少しでも大腿骨骨頭壊死の病気への理解を深めていただければと思います。

大腿骨頭壊死とは

大腿骨骨頭壊死は、股関節の大腿骨の一部が血流不足により死ぬ病気です

痛みや運動制限が生じ、進行すると股関節の変形性関節症に繋がります。

原因は外傷、ステロイド薬の使用、アルコール摂取など様々ですが、私の場合は原因不明の「突発性大腿骨骨頭壊死」と診断されました。

治療は、症状や進行度に応じて保存療法や手術が行われます。

大腿骨頭壊死は1992年から難病指定される

私が発症した1984年には難病指定されていませんでしたが、1992年から難病指定されました。

理由は希少性や原因の不明確さ、治療の困難さ、患者の生活への影響が大きいため、診断・治療の体制整備と患者支援の必要性が認識されたからです。

発症のきっかけと初期症状(見出し2)

1984年、子供が生まれたばかりの時期に、スポーツ大会でソフトボールに参加し、滑り込んだ際に左股関節に痛みを感じました。

その後、歩くたびに痛みが増し、夜も眠れないほどになりました。

病院で検査を受けたところ、左大腿骨骨頭壊死の可能性があると言われ、左大腿骨の状態の確認と治療のために2週間入院しました。

入院中に行われた治療の一つは「牽引療法」です。

脚に重りをつけて引っ張ることで股関節の圧力を軽減し、痛みを和らげることが目的でした

転院し、診断確定

東京の病院では手術が必要と言われ、術後も復帰にはリハビリ含めて最低1年がかかると説明されました。

そこで、会社を休職し、実家のある四国の病院に転院しました。

転院先では、正確な診断を行うために「血管造影検査」「X線撮影」「CTスキャン」「骨シンチグラフィ」の検査が行われました。

血管造影検査

40年前の整形外科において、大腿骨骨頭壊死の診断には、血管造影検査が重要な役割を果たしました。

具体的には、カテーテルを股にある大動脈に挿入し、造影剤を注入して血管の状態をX線で撮影する方法です。

大腿骨骨頭の血流を評価するために行われ、壊死の程度や範囲を確認するために実施します。

実施後はカテーテルを入れた個所を重りで止血し、丸1日ベット上安静でした。

血管造影検査を行う目的は、以下の3つになります。

血流評価

大腿骨骨頭壊死は血流不足によって引き起こされるため、血管造影検査で血流の状態を詳細に把握します。

壊死範囲の特定

血流が途絶えている範囲を確認し、壊死の進行度を判断します。

治療計画の立案

手術や保存療法の選択に役立つ情報を提供し、治療計画を立てるために使用されます。

X線撮影

骨の構造や形状の異常を確認するために使用され、自分自身、画像を診て大腿骨がつぶれていたの確認し、骨頭の壊死がわかりました。

CTスキャン

骨の詳細な断層画像を取得し、壊死の範囲や骨の状態をより詳しく評価するために使用されます。

骨シンチグラフィ

この検査は、放射性同位元素を用いて骨の代謝活動を画像化し、壊死部分の血流が低下している状態を診ます。

まとめ

この記事では、左大腿骨骨頭壊死の診断に至るまでの私の経験を振り返りました。

痛みの原因がわからず不安に苛まれる中、さまざまな検査を経て診断が確定し、最終的には手術を受けることにしました。

次回は、実際の手術内容や、術後のリハビリの詳細についてお伝えし、同じ病と向き合う方々に少しでもお役に立てればと思います​

 

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