この記事は、左大腿骨頭壊死の手術と長いリハビリを経てようやく職場復帰を果たした矢先、わずか3か月後に右大腿骨頭壊死が発見され、再び人生の大きな転機を迎えることになった闘病記です。
失意の中、右足の手術を決意し、またも1年の休職を余儀なくされました。
両松葉杖をついての東京での通勤は無理と判断し、地元での転職先を考えていた時、会社の支援で関連会社に転籍でき、人生を新たにスタートさせることができた経緯を語っています。
困難を乗り越え、新しい生活を切り開く記事です、ぜひ読んでみてください。
再発の兆候と診断
大腿骨骨頭壊死は両側性
主治医から「大腿骨頭壊死は両側性に発生することが珍しくない」と言われていたため、左大腿骨のレントゲンを撮る時は右大腿骨も撮っていました。
1985年9月の最後のレントゲンでは異常は見つかっていなかったのですが、、、
右大腿骨頭壊死の診断
復職後3か月が経過した1985年12月27日、正月帰省の際に受けた診察で「右大腿骨頭壊死」と診断されました。
本人もですが、家族みんな大ショックです。
それに復職したばかりで、また1年近く休職かと思うと、会社には迷惑をかけて申し訳なく、「今の会社でのキャリアはない」と考えてしまいました。
それに、復職できたとしても、通勤が発生する東京で働くのは無理と漠然と思っていました。
そして、いっそのこと、地元四国で仕事を探すしかないかな~と考えていました。
そして、一番憂鬱だったのは、手術後の1が月のベット上安静があることでした。
左脚の手術の時のベット上安静、この経験は、2度と経験したくないと思っていたのに!
発症のきっかけ
通勤は駅まで自転車で20分、駅からJRと地下鉄で会社まで30分かかりました。
発症のきっかけは、よくわからないのですが、松葉杖を使って移動する際、左股関節に負担がかからないように右股関節に過度の負担がかかっていたことが原因だと考えています。
再びの手術:右大腿骨回転骨切り術
右大腿骨頭壊死の診断を受けた段階で、右大腿骨回転骨切り術を行うことを決めました。
左大腿骨の時と同じ血液造影検査、手術、そして1か月のベッド上安静を思い出すと不安が募りました。
右大腿骨回転骨切り術と術後のリハビリ
右大腿骨回転骨切り術と術後のリハビリは、「左大腿骨回転骨切り術の経験と術後のリハビリ」とほとんど同じなので、こちらの記事を読んでください。
入院から退院まで
入院は、1986年1月20日、手術は1986年1月30日に行われ、5月31日に退院しました。
左大腿骨の手術よりも1か月短い入院期間でした。
家族のサポートと感謝の気持ち
療養中の家族のサポート
実家が病院の近くにあったため、入院中や療養中は妻と1歳の子供も含めて両親のサポートを受けることができました。
妻の実家も近かったため、妻も息抜きができる環境にありました。
家族への感謝
家族の支えと協力があったおかげで、治療に専念することができました。
家族の存在は私にとって何よりも心強いものでした。
私のセカンドキャリアへの道
2年近く休職した後、東京での通勤は難しいと感じていましたが、会社の配慮のおかげで広島で新しいセカンドキャリアをスタートさせることができました。
セカンドキャリアに関しての私の考え
2度目の手術を終えて、元の会社に復職することが難しいと感じていました。
両足の手術後、松葉杖をついての通勤になる東京での勤務は、無理と考えていました。
そして、地方都市なら、自転車で通勤できるので、Uターン含めて地方都市での転職を考えていました。
会社への思い
2年近く休職させてもらい、会社には大変な迷惑をかけました。
復職して恩返ししなければならないことはわかっていましたが、通勤のことを考えたら、東京で働くのは、家族にとって幸せにはならないと考えました。
会社がしてくれた配慮とは
退院して2か月ほど経った頃、課長が実家を訪ねてくださった折、復職についての私の考えをお伝えしました。
課長はその場で持ち帰って検討すると約束してくださり、事業部長や人事役員と相談してくれました。
休職前は、統計解析のアプリケーションを開発する業務についていたので、会社からは、「広島に統計解析プログラムを開発している会社があるので、そこなら君のキャリアは続けられるよ」言われ、1986年11月に広島の会社へ出向・転籍の辞令を受け取りました。
広島の話があった時の思い
広島は、私にとって縁もゆかりもない街です。
そして、広島は、映画「仁義なき戦い」の舞台になった街でもあったので、正直不安でした。
しかし、また働けるということがうれしかったのを覚えています。
そして、1986年12月 新しい土地、広島で私のセカンドキャリアはスタートしました。
まとめ
この記事では、左足に続き右足も大腿骨骨頭壊死となり、手術とリハビリで合計2年間の休職を経験した体験を語っています。
東京への通勤が困難と判断し、会社の温かい配慮により地方都市での新しいキャリアをスタートさせることができ、最終的には定年まで無事に勤めあげることができました。
長期にわたる休職と復職に対する会社の理解や支援、そして家族のサポートに感謝しつつ、病気を乗り越えて再び職場でのキャリアを積みかさねることができました。
私が経験した一連の出来事は、休職して、復職しようとしている方々に希望を届けれると思います。
今、病気療養中で、復職に向けて頑張っている方の参考になれば幸いです。